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札幌地方裁判所 昭和63年(わ)1147号 判決

主文

被告人を懲役三年六月に処する。

未決勾留日数中三00日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、北海道空知郡〈住所省略〉において、炭鉱夫をしていた父と母の間に四女として出生し、同市内の中学校を卒業後、集団就職した千葉県内のゴルフ場でキャディとして三年ほど勤めた後、関東近県においてウエイトレス、ホステス、店員、家政婦、ホテルのメイド等の職を転々とし、一時は京都で芸妓として稼働して客の求めに応じて売春も行うなどし、昭和五六年ころ、当時の勤め先の東京浅草所在の大衆酒場に客として出入りしていたA(当時四0歳位)と知り合い、同人に好意を寄せるようになり、同人と肉体関係を重ねるうち妊娠したことに気づいたが、同人が派手好きで金使いが荒いことなどに嫌気がさし、三か月ほどで同人と別れ、甘い言葉に乗せられて身体を弄ばれた上妊娠までさせられたとして同人に対する憎しみを抱くに至り、身籠もった子供を出産する気持も全くなかったものの、以前妊娠中絶した際、医者から爾後中絶を禁じられていたことなどもあって中絶の時期を失し、やがて臨月を迎え腹痛を覚えるようになったため、同五七年一0月六日、札幌市内に住む母親(父親は当時入院中で、その後、死亡している。)のもとに戻り、翌日同市内の病院に行き堕胎を依頼したところ、医師から既に臨月で出産するほかない旨説得され、やむなく同月九日同病院において、帝王切開により健常女児(体重二八一五グラム)を出産し、Bと命名した。被告人は、同五八年四月ころ、母親方を出て、同市南区〈住所省略〉所在の○○アパート一を借りてBとともに移り住んだが、貯蓄はあったものの、乳飲み子を抱える身では就職することもできなかったところから、姉の勧めもあって生活保護の申請をし、同年六月末から生活保護とBの児童手当により暮らしていたが、強く就労を勧めるケースワーカーとの言葉の行き違いなどから、同六一年五月には生活保護を自ら辞退し、児童手当で不足する分は二00万円ほどの貯蓄を取り崩して生活をしていた。被告人は、一方で、我が子は可愛いと感じる気持から、Bに対し愛情を注いで養育する反面、その後も憎み続けていたAの子供など生まれてこなければよかったのにとの思いも強く、Bに対する愛憎の交錯するなか、月経発来前の神経の苛立つ折などには、おとなしくテレビを見ているBの顔面や頭部を突然殴りつけたり、身体を突き飛ばして転倒させるなどしてしばしば同人の身体に青痣が残るような折檻を加え、やがてBが三歳を過ぎて顔立ちや目つきなどがAに似てくると、同人を憎む気持からBに八つ当たりするようになり、折檻も一段と激しさを増すとともに、自ら手を下して殺害することはできないが、Bが病気にかかって死ねばよいと、その死を願う気持を強く抱くようになった。被告人は、Bが足手まといとなって、知人の勧める縁談に応じることもできないばかりか、働くことすらままならず、頼みの綱とする貯蓄も次第に減少する有様で、何かと行動を規制され束縛された毎日を送らねばならないことに我慢がならなくなるとともに、ほかに頼る者のいない母子家庭で、早死にするのではないかとの漠然とした思いもあって、自分が死んだあとのBの将来にも不安を抱いたところから、Bは今のうちに死んだほうが幸せであるとの思いにとらわれ、同六二年夏ころには自らの手でBの命を絶つとともに、食を絶って自らも死のうと考えるに至り、その旨の遺書をしたためるなどしたが、刃物で刺したり、首を絞めたりする方法は残酷で出来ないと考えたところから、B殺害の方法についてあれこれ思案するうち、同六三年夏ころ、水だけを飲んで一週間ほど生き延びたという夏山遭難者のニュースをテレビで知り、これにヒントを得て、水も食物も与えなければBは一週間位で死ぬだろうし、その死体を他人が見ても殺人とは思わないだろうと考え、Bを餓死させることとし、それまで毎月一、二回被告人を訪問していた母親にも同年九月二五日ころまで被告人方に来ないで欲しい旨申し向けて妨害の入らないようにし、同年八月二五日から右計画を実行に移そうと決意した。

(罪となるべき事実)

被告人は、右のようにして、前記B(当時五歳一0か月)に水も食物も与えないで餓死させようと決意し、昭和六三年八月二五日朝、札幌市南区〈住所省略〉所在の○○アパート一の当時の被告人方において、Bに対し、「お母さんもご飯食べないから、Bもご飯食べたらだめだよ。」「遠くに行くんだよ。ちょうだいと言っちゃだめよ。」などと繰り返し言い含め、同日以後、Bに被告人が食事をする場面を見られたり、買い置きの菓子を発見された際などに僅かな菓子あるいは粥と少量の水を与えた以外にはBに食事をさせず、空腹に耐えかねたBがこれを訴えようとすると、「お腹がすいたと言ってはだめ、おねだりはだめ。」などと厳しく叱りつけ、被告人が外出中、Bがやかんの水を飲んだり、冷蔵庫や戸棚の中の菓子に手を出した気配が窺われた際には、「何で言うことを聞けないの。」などと怒鳴りつけ、頭部・顔面を殴り、身体を突き飛ばして転倒させるなどの折檻を加え、Bが被告人に隠れて飲食することができないようにしつつも、時として、Bが不憫になり、何度か犯行を中止しようとは考えたものの結局翻意せず、同年九月中旬ころには、被告人が銭湯に出かけた留守中にBがやかんの水を飲むなどした形跡があったため、Bを殴打するなどして厳しく折檻し、床に転倒したBの衰弱した姿を見るや、首を絞めればすぐ死ぬのではないかと考えてBの首に手を掛けて床に押しつけたものの、Bの苦しそうな表情を見て絞殺は思いとどまり、また、同年一0月初めころには、いつになったら死ぬのかと苛立つ余り、Bに対し、まだ死なないのかとその頰を平手で殴打するなどの行為にも及んだ挙句、遂に、同月三日午後四時ころ、前記○○アパート一の被告人方居間において、Bを餓死するに至らせて殺害したものであるが、被告人は、本件犯行当時、知能低格性と性格の著しい異常により、心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(被告人の責任能力について)

弁護人は、被告人の責任能力について、被告人は、本件犯行当時、知能低格性に加えて性格の著しい異常により事態を適切に判断し、これに従って自己の行動を制御する能力に欠けていたか又はこれが著しく減退した状態、即ち心神喪失ないしは心神耗弱の状態にあった旨主張し、他方、検察官は、被告人には知能低格性及び性格の偏りは認められるものの、その程度は軽く、責任能力に著しい影響を及ぼすほどのものではないから、被告人は本件犯行当時責任能力を有していた旨主張するので、この点に関する当裁判所の判断を示す。

一  本件犯行は、判示のとおりの経緯・経過で敢行されたものであって、表面的には、我が子でありながら、生みたくもないのに生まされた、憎い男の子供で、日頃から疎ましく思っていた上、自己の生活にとって邪魔な存在である被害者を抹殺した殺人事件として、犯行自体のみならず動機においても、理解することが一応可能な事案であり、被告人の捜査段階における供述中にも、右のような動機に犯行として説明がなされており、被告人の責任能力に特段の疑問はないかに見えるのであるが、被告人の当公判廷における供述(更新前の供述をも含む。以下、同様)等の関係証拠を仔細に検討すると、以下のような問題点があり、被告人を完全責任能力者と認めるには疑問があるといわざるをえない。

二  すなわち、関係証拠によれば、次のような諸点を指摘することができる。

1  先ず、本件犯行の動機・経緯についてみると、被告人は判示のとおり、被害者を妊娠した当時から自らの望んだ子供ではないとしてその死を願っていたところ、被害者が成長するにつれその容貌が憎む男のそれに似てくるや一層これを疎ましく思い、遂に被害者を殺害しようと思い立つに至ったのであるが、右のような動機を形成するに至ったこと及びその動機自体は理解することができるものの、被告人は、刃物等の凶器を使用したり、首を絞めるなど、直接手を下して死亡させるというような殺害方法と、飲食物を与えず死亡させる方法とを観念的に区別し、前者の方法をとることは躊躇しながら、後者の方法は被害者を自然死させるものとしてさしたる抵抗もなく選択したばかりか、一度右のようにして被害者を死なせようとの考えに取りつかれるや、他の解決方法について思いを巡らした形跡は全く窺えず、思考をこの一点に膠着させ、何回か一時的に決意をぐらつかせたことがあったとはいえ、結局は四0日もの長期間、右思考に固執し続け、冷酷にも被害者が日に日に衰弱してゆき死に至るのを待ち続け、剰え、被害者が空腹の余り飲食物に手を出したと知るや、厳しい折檻を加え、極度に衰弱しながらも辛うじて生命を保っていた被害者に対し、まだ死なないのかとばかりに被害者を殴打するなどの所為にも及び、およそ人の親、生みの親として理解し難い非情さをもってその目的を遂げたばかりか、公判段階の最後に至るまで「Bは私のものですから」「私はBの母親ですから、Bをどういうふうにしようと勝手だと思いました。」「Bが死んで、これでよかったと思いました。」などと言い放ち、本件犯行を被告人にとってやむを得ない正当な行為と確信しているのであって、自らの置かれた状況から脱出する方策についての全く誤った観念及び判断から本件のような手段・方法をとったこと自体、被告人の知的能力の低格性を示すものということができるし、右のような非情さを長期間にわたり持続させ、その目的を遂げて被害者を死に致しながら、被害者の死亡後発作的に軽便かみそりで左手首を切り自殺を図ってはいるものの、これとても軽微な切傷をつけたにとどまり、どこまで真剣味のあるものであったか疑問であって、自らの行為を悔いてのものとは到底認め難く、真の意味の悔悟や改悛の情が見られないのは、被告人の情性の欠如を示すものというべきである。

2  また、被告人は幼少時から、変り者と見なされ、普通の神経の持主ではないと受け取られており、生育環境にもよることが窺われるとはいえ、両親や七人の同胞のうちのいずれとも暖かい思い遣りにあふれた交流がなされておらず、小中学校時代にも、人の陰口が多く、勝手な行動に走り、気分の変化が激しく、気に入った者以外とは話をしない傾向があり、被害者と共にアパート生活を始めるようになってからも、近隣住民と親しく交際することはできず、孤立的傾向が窺われ、生活保護を受けていた際、被告人方を訪問したケースワーカーが被告人の生活を探り、干渉するなどとしてこれに強く反発し、相手の話に耳を貸そうともしないで、腹立ちの余り後先も考えず一方的に保護を辞退するに至ってもいるのであって、これらも被告人の性格の偏りを示すものといってよい。

三  ところで、鑑定人角哲雄作成の精神鑑定及び同人に対する当裁判所の尋問調書(以下、両者を単に「角鑑定」という。)によれば、被告人には精神分裂症、うつ病、てんかん等の精神疾患の徴候はないものの、被告人の知能は、ウエクスラー成人用知能診断検査(WAIS)では、全検査IQ(知能指数)六五、言語性検査IQ六九、動作性検査IQ六六で、グッドイナフ人物画知能検査(DAM)では、IQ五七、精神年齢九歳二か月との結果が得られており、これに被告人の生活経歴、学業成績、面接検査の結果等を総合すると、被告人には軽度精神薄弱程度の知能低格性(軽愚或いは魯鈍)が認められるというのであり、また、被告人の性格については、ロールシャッハテスト、P−Fスタディ等の心理検査及び面接の結果や、鑑定留置中の被告人の言動に加えて本件犯行に関する被告人の供述内容、被告人の幼少時からの言動に関する近親者の供述、学校時代の記録等を総合して、被告人は易怒的、易刺激的傾向が強く、併せて著しい情性欠如と自己顕示的傾向を有する性格異常者であることが指摘されている。

もっとも、検察官は、医師岡本康夫作成の鑑定書及び同人に対する受命裁判官の尋問調書(以下、両者を単に「岡本鑑定」という。)にも依拠しつつ、被告人が、本件犯行に至るまで格別犯罪行動や社会規範に反する行動をとったこともなく、社会に適応し、自律して生計を営んできたこと、そして、判示事実から窺われる本件犯行の計画性や被告人が犯行発覚の際衰弱死を装うなどの隠蔽工作をしたことを指摘して、被告人の知能低格性及び性格の異常もそれほど高度のものではない旨主張するのであるが、関係証拠によれば、被告人は、同胞を多く抱えた貧困家庭に育ち、好むと好まざるとに拘らず人生の早い時期から親もとを離れて自活せざるを得なかったのであり、就いた職種は、キャディ、ウエイトレス、ホステス、メイドなど、そのことごとくが不特定の客を相手として行う不熟練労働の典型ともいうべきものに限られており、知能低格者でも就労可能ということができる上、就労期間が、中学校卒業後初めて就いたキャディの三年を別にすれば長いものでも一年位、短かければ一か月程度と甚だ短期間であるのは、被告人の前記人格的な欠陥が露呈したためとも見うるのであって、この間、被告人が、犯罪行動に走ることなく一応の職業生活を送り、貯蓄をなし得たのは、特に強い葛藤や対応が困難な状況に置かれていたわけではなかったためと認められ、検察官の指摘する計画性といい、隠蔽工作といっても、極く表面的なものにとどまる。知能低格者にも十分思いつく程度のものであって、これらをもって直ちに、被告人が、本件犯行に至る間の容易に解決し難い葛藤場面に直面し、その解決を迫られていた状況のもとにおいて、的確な判断をし、右判断に基づいて行動する能力をも有していたものと速断することはできない。

なお、岡本鑑定については、被告人を逮捕した後約二週間を経過した時点において、それまでに捜査機関が収集し得た資料と被告人に対する僅か一時間半ほどの面接の結果をもとにして判断したもので、資料の不足は否めず、岡本医師自身、その後の捜査・公判における資料と専門機関の検査結果を踏まえた角鑑定の結論に対しては格別異議がないとしているのであって、右岡本鑑定を根拠として前記判断を覆すことができないことは明らかである。

四 以上によれば、被告人は、中学校卒業以来、これまで独立して生計を営み、生活費を切りつめて相当額の貯蓄もしており、被害者に対してもその年齢に応じて図書を買い与えるなどして養育監護していたものであるほか、本件犯行及びその前後の自らの行動や四囲の状況等についての認識に特段欠けるところはなく、本件犯行に着手するに際しては予め母親に足止めし、犯行後多少の隠蔽工作をした形跡もあることなどにも鑑みると、被告人が、本件犯行当時、心神喪失の状態にあったものとは認め難いものの、被告人には、軽度精神薄弱に相当する知能の低格性に加えて易怒的・易刺激的傾向と情性の欠如を主徴とし、自己顕示的傾向を併せ有する著しい性格異常のあることが明らかであって、そのため、本件犯行当時、事態を客観的に吟味しつつ事理を弁識し、正確な判断を下した上、これに従って適切に自らの行動を統御する能力が著しく減退した、心神耗弱の状態にあったものというべきである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中三00日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、母親でありながら、判示の経緯で、可愛い盛りのはずの一人娘である被害者を冷酷にも四0日間にわたってほとんど飲食物を与えず、骨と皮ばかりに痩せ衰えさせ、無残にも飢餓死させて殺害したという事案である。被告人は、出生に至る経緯から母子家庭に生育することとなった被害者の将来を憂えたという心情もあったとはいえ、結局のところは憎む男との間にできた、生むことすら欲せず、足枷となる子供として疎んじ、憎しみの情を募らせ、自分の生んだ子供であるからどのようにしようと勝手であるとの誠に身勝手な考えから、幼い生命を摘み取ってしまったものであって、誠に理不尽かつ自己中心的な冷酷、非道な犯行といわざるを得ず、動機に何ら同情の余地はない。犯行態様も、被告人が自ら直接手をかけ被害者を殺害することができなかったところから、自然死させるとして飲食物を与えず、長時間にわたって徐々に衰弱させ、空腹に耐えかねた被害者が被告人の留守中、水を飲んだり、菓子に手を出したと知るや、激しい折檻まで加え、遂に被害者を餓死させて殺害の目的を遂げたもので、極めて残酷なものといわなければならない。被害者は、容貌等が父親に似ているというだけの理由で厳しい折檻を受け、六歳の誕生日を目前にして、こともあろうに、この世で唯一の庇護者で、すがりつき、頼り切っていた母親の手によって飢餓の苦しみを味あわされ、これに抵抗する術も知らないまま絶命し、はかなくも短い一生を終えることとなったもので、その心情は誠に哀れというほかはなく、深い同情を禁じ得ない。被告人には、被害者の死亡という厳然たる事実を前にしながら、今日に至るもなお真の意味の被害者に対する親としての憐憫の情、反省悔悟の情を認め難いことも遺憾といわざるを得ない。本件が社会に与えた衝撃・影響も大きい。これらの事情を考慮すると、被告人の刑責は甚だ重大というべきである。

他面、被告人は、生来的な知能低格と性格の著しい偏りを有するという素質負因が強く影響し、幼児を抱えて働くこともままならず、被告人自身及び被害者の将来に対する不安にさいなまれる困難な状況に直面し、適切な対応をすることができないまま本件犯行を敢行するに至ったもので、未だに自らの惹起した結果の重大さを十分に認識し得ず、真の意味の悔悟の情を示していないのも右のような性格特性に影響されてのものであることが窺われること、被告人は、本件に至るまで終始憎しみの情に動かされてきたものではなく、愛憎の交錯し揺れ動くなか、被告人なりに被害者を慈しむ気持が働くこともあり、養育監護にも被告人なりの努力をしてきたものであって、死なせた被害者を哀れみ、被害者がいなくなったことを寂しく思う気持も見られること、被告人は、必ずしも恵まれていたとはいえない家庭環境に育ち、中学校卒業後本件犯行に至るまで、曲りなりにも自らの働きによって人生を切り開いてきたものであり、これまで前科前歴も全くないことなど、被告人のために酌むべき事情もあるが、これらの事情を斟酌し、かつ、被告人の性格特性に適合した処遇をすべき刑事政策的配慮の必要性などの諸点を勘案してみても、被告人に対しては、一定期間刑務所に服役させることによって自らの犯行に対する罪の償いをさせるべきであって、主文程度の実刑はやむを得ないものというべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官龍岡資晃 裁判官若原正樹 裁判官伊澤文子)

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